Akahadayaki

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平城京遷都1300年
Akahadayaki
赤膚焼  まほろばの茶陶
 香柏窯 陶芸家  尾西 楽斎
710年平城京遷都の遥か昔より
華麗な天平文化が花開いた
いにしえの都の地「奈良」

赤膚焼香柏窯

春日御土器師
衣だに ふたつありせば赤膚の山にひとつはかさましものを
大和は国のまほろば

たたなづく青垣

山ごもれる大和し

うるはし


-古事記-
日本武尊 ヤマトタケル

古き良き時代を現代に残す、奈良

いにしえの物語が目の前に浮かんできそうです。
奈良、ならではの焼き物

ー赤膚焼ー
世界遺産・東大寺、興福寺、元興寺、春日大社、平城宮跡、薬師寺、唐招提寺、法隆寺、法起寺、吉野山、



赤膚焼

遠く赤膚焼の渊源を尋ぬれば、人皇第十一代垂仁天皇の御代、野見宿禰埴輪の製作を建言し、宿禰の末裔土師の姓を賜りて一族、大和國添上郡伏見菅原の里に蟠居す。また平城京の甍の焼成をなされしも、共に赤膚の地に近く、住古より赤ハダ山周辺丘陵は、良質の陶土を産するを以って世に聞こえたる土地なりき。中古以来、春日御神供の供御の科とせる赤白土器座も、西の京に置かれたるは、以てこの証となすべき所なり。京洛にも名高き奈良風爐・奈良火鉢もこの座にて製せられし事は、夙に『山科家礼記』にも誌されし事実にして工人をば坏手(つくで)と呼べり。
 更に天正の昔 秀吉の弟 大和郡山の城主、大和大納言秀長公 常滑の陶工与九郎を召され、当時流行の茶道具の製作を奨励されしは、郡山の地にて。彼の文人柳里恭は郡山御城下、大職冠の地にて窯を開かれたりしと聞く。
茶道の大家、小堀遠州は、遠州七窯(えんしゅうなながま)を選んだが、 赤膚焼もこの一つに加えられ、茶陶としての名が高められし所なり。
 其の後衰徴せるを寛政4年 名君の誉も高き大名茶人、尭山柳澤保光侯、京より陶工治兵ェらを招き再び赤膚焼の窯業を興さしむ。その頃家中には、青木木兎らの上手出て、町方にも一躍、赤膚焼の名を天下に轟かせしは、名工、奥田木白(おくだもくはく)の出現なり。木白は「諸国焼物模物所」の看板を掲げ各種の茶陶をも焼成し、卓越せるその意匠と技倆をもって、たちまちに他を凌駕す。爾来赤膚焼は、焼物の八宗兼学とも言うべき性を備えたりき。その後、父にも優る名工 奥田木佐や各窯元の活躍ありて、愈々茶陶 赤膚焼の伝統を、後世に伝え得るようになり現在に至る。

〒639-1132奈良県大和郡山市高田町117 0743-52-3323 
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